アジアのMakers by 高須正和
メイカースペースのビジネスモデル バブル期を越えて
メイカームーブメントを取り巻く状況は、毎年大きく変わっている。2019年にアメリカのMaker Faireを主催してきたMaker Mediaが経営破綻し、今年2020年に赤坂のTechShop Tokyoの終了が発表されたことから、「メイカームーブメント冬の時代、次のステージ」という声も聞く。
僕は世界各国のメイカースペースを多く訪ねてきた。ビジネスモデルごとに、時代の影響を大きく受けたスペースとそうでないスペースがあるようだ。
メイカースペースとメイカームーブメント、産業とのかかわり
2012年にクリス・アンダーセンが『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』(NHK出版刊)を出版し、同年にサンフランシスコと深圳に本拠を置く、ハードウェア専門のアクセラレーターHAXLR8R(後にHAXに変更)が創業した。2014年にアメリカのオバマ大統領(当時)がホワイトハウスでMaker Faireを開催した。これが社会の注目を「Maker」に大きく集めたと言えるだろう。それまではホビイストの遊びだった「Maker」に、産業振興や教育などの社会的な役割が与えられた。その結果、2015年に中国で「大衆創業・万衆創新」という大キャンペーンが始まり、同年フランスでもFrench Techがスタートするなど、「ボトムアップからのイノベーション」が世界的な潮流になった。メイカースペースのための補助金や企業からの投資が各国で行われたのはこの頃だ。
一方で、政府による補助金や投資には期間やトレンドがある。2~3年後の2017~18年には多くの補助金が停止し、トレンドはAI等に移りつつある。テクノロジー重視、ボトムアップからのイノベーションという潮流は今も続いているが、「イノベーションのために専門のメイカースペースを新しく開設し、常勤スタッフを雇用する」という流れは2017年頃から下火になり、2014~15年ごろに開設したメイカースペースの多くは閉鎖している。
ムーブメント以前からある互助会的なメイカースペース
特徴としては、
・非営利
・自己資金での運営
の2つが挙げられるだろう。
2014年以前から存在しているメイカースペースは、多くがフリーランスのデザイナーやクリエイターのシェアオフィスとして必要に迫られて誕生し、今も存続している。フリーランス同士の仕事のシェアや交流、郵便が届くオフィスとしての役割は今も変わらない。こうした互助会的なメイカースペースの特徴は、ゴールが会員たちの満足であって、利益ではないことだ。メンバーからの会費で借りられる安い場所を見つけ、運営スタッフは手弁当で、スペースや機材も手が届く範囲で運用するために工夫する。
たとえば今筆者がこの記事を書いているシンガポールのHackerspaceSG※は、安い家賃を求めて数回の移転を経験している。シンガポールのハッカースペースは互助会という特色を前面に押し出し、サイトに「We have no employees. Really none, not even a general manager.」と、雇用者やジェネラルマネージャーを置かないことを宣言している。株式会社の形をとり、古株のメンバー間で少しずつ株式を持ち合うことで運用をしているのは、マネージメントに長けたシンガポール人らしい工夫だ。小規模株主の一人で自らもOne Maker Groupを主催するウィリアム・フーイは、「株主になるほうが、自分の活動をハッカースペースに結びつけようという意思が生まれる。自分事になる感じが生まれるのは、はいいことだ」と語る。
僕が深圳で運営しているコミュニティ/メイカースペースである「ニコ技深圳コミュニティ」も、そうした互助会型のものだ。今のところいくつかの企業スポンサーのおかげで持ち出しなしで運営できているが、ここから利益や報酬を僕や他のメンバーが得ることは考えていない。
※記事初出時は新型コロナウイルスのため、一時閉鎖中
2010年から活動しているデンマークのコペンハーゲンにあるメイカースペースIllutronは、家賃を安くするために中古の船舶をコペンハーゲンの港に係留して、そこをハッカースペースにしている。「コペンハーゲンの家賃より、船舶の係留代の方が安くつく」と運営メンバーは語ってくれた。
2009年スタートのTOKYO Hackerspaceは、アメリカ人のエメリーが東京の地理に詳しくなく、外国人が多いという理由で青山に開設したが、現在は中板橋に移転している。「(中板橋のHackerspaceは)材木屋の2Fにあり、昼間は加工のために大きな音を出しても問題ない。もちろん青山に比べたらずっと家賃も安い」と、2016年7月に行われたイベント「ハッカースペースのつくりかた」でエメリーは語ってくれた。
明暗が分かれる、新事業創成型のスペース
2014~2015年の、メイカームーブメントへの注目がもっとも高まった時期には、事業としてメイカースペースを開設・運営する形が各国で登場した。
「利益、または投資を上回るメリットを出資者にもたらすこと」がこのタイプの特徴になるだろう。非営利・互助会型のメイカースペースと違い、事業としてメイカースペースを運営する形は、企業経営そのものなので、成功の難しいビジネスだ。互助会型のメイカースペースと違って、出資者に利益をもたらすために成長を加速する必要がある。そのため、フルタイムのスタッフを雇用し、スタッフ専用のスペースを確保するといった施策を、多くのメイカースペースが採用している。インキュベーションなどのベンチャーキャピタル機能を備えているスペースや、ベンチャーキャピタルが事業としてスペースを開設したケースも多い。
アメリカのTechShopが2017年10月にクローズしてしまったことは、さまざまな意味で象徴的な出来事だ。メイカースペースではないが、2015年に500万ドルの資金調達を行ったMaker Mediaも2018年に破綻してしまった。以前の記事「中国メイカースペースバブルと崩壊後」にある北京メイカースペース協会の発表では、2017年時点で、中国にある55%のメイカースペースが赤字運営だと伝えている。
一方で単純な収益を超えてメイカースペースとコラボレーションすることでうまくいっている事例もある。2011 年に互助会型のメイカースペースとしてオープンし、中国のメイカームーブメントの火付け役となった深圳のChaihuo Makerspaceはその後企業となり、深圳・河北・東莞に新しいスペースをオープンしている。Chaihuoは不動産デベロッパーの万科と提携し、万科が造成するニュータウンにクリエイティビティを付加し、ブランドイメージを上げ、コミュニティを作る役割を担っている。森ビルが手がけた六本木ヒルズに、美術館や映画館があるような役割だ。
上海にあるMushroom Cloudも、2013年に互助会型のメイカースペースとして始まった後、オープンソースハードウェア企業としてのDFRobotが運営スタッフを雇用し、インキュベーターのPuruan Incubatorが自社ビルのスペースを提供することで、現在も安定して運営を続けている。Mushroom Cloud創業メンバーのRocket(夏青)は、「単体で利益を出すのは難しいけど、パートナーとエコシステムに恵まれた」と語っている。
中国以外のアジアの国、たとえばタイでも、スタートアップ企業やベンチャーキャピタルとしてメイカースペースの運営を始めたNE8T(2015年オープン)やMaker Zoo(2015年オープン)などは2016~17年頃に相次いで閉鎖してしまったが、カリフォルニア出身のNaziがコワーキングスペースとして開設したチェンマイのMakerspace Thailand(2014年オープン)では、ハードウェア工作用の工房を今も運営できている。
互助会型のメイカースペースをキーに、オープンイノベーション他の付加価値を目的として、新規事業と繋げていく形は、営利企業としてのメイカースペースのありかたとして、一つの成功パターンと言えそうだ。
むしろ拡大している企業内メイカースペース
新事業創成やメイカースペースそのものを事業化するのとはまた違う形で、企業内のイノベーションを進めるなどの目的で、会社の組織としてメイカースペースを立ち上げるケースも増えている。「『企業内メイカースペースは、社内外の垣根を越え、つながりを作る』Microsoft、Googleの取り組み」で紹介したようなものだ。MicrosoftもGoogleも、企業内の部署を超えた交流や社外とのオープンイノベーションのために社内にメイカースペースを作っている。このケースは日本にも多く、過去にfabcrossで紹介たリコーのつくる~むやソニーのCreative Lounge、広義のメイカースペースとしては、Yahoo! JAPANのLODGEなど、多くのスペースが活動を続けている。
行政とメイカースペースの付き合い方
こちらも興味深いケースが多い。行政の関与する施設、たとえば大学やテクノセンター、図書館などにメイカースペースのような開放された工房を作るケースは、メイカームーブメントと同時にFablabに注目が集まったことで、2014年頃からいろいろな国で見かけるようになっている。
fabcrossでも「『受験勉強だけが教育ではない』学校内ファブラボを進める台湾の今」などでレポートしている。台湾の学校内Fablabやシンガポールサイエンスセンター(手を動かし、組み合わせながら考えることがクリエイター、メイカーへの入り口になるTinkering Studio)は政府機関の中にメイカースペース的な機能を持たせる例だが、前述した上海のMushroom CloudやChaihuoも、教育機関とのコラボレーションは多い。もともと互助会的なスペースとして始まった香港MakerBayも、シビックテック活動や市民とアートなどで、香港の政府機関と多くのコラボレーションし、活動を広げている。「一緒に生きて食べ、踊って学ぶ——砂漠からアントレプレナーシップ ヴィガンアシュラム」でレポートしたプネー(インド)のヴィガンアシュラムもそうだ。
筆者が運営するニコ技深圳コミュニティも、深圳の政府系インキュベーターから依頼されてイベント等で協力することがある。非営利団体の方がそうした政府とのコラボはやりやすい。また別の例では、韓国政府がFablab Seoulを通じて、ミャンマーやタジキスタンの工科大学にメイカースペースを開設している。日本もJICAが青年海外協力隊事業としてフィリピンのボホール島にFablabを開設した。こうした途上国援助事業も、メイカースペースと無縁ではない。
「オープンイノベーション」という流れは今後ますます続くだろう。その中でメイカースペースと行政や教育機関がコラボレーションしていく例はさらに多様な例が出てくるはずだ。
バブルを超えた、メイカースペースの現在地
僕は世界中のメイカースペースを訪ねた『世界ハッカースペースガイド』(翔泳社刊)という著書がある。いろいろな海外のハッカースペースを訪ねるのは、2013年頃から初めて、もう6~7年目になる。この記事もシンガポールのハッカースペースで書いている。新しいハッカースペースを訪ねるたびにスタンプを押す「ハッカースペースパスポート」は、2冊埋まってしまって今3冊目だ。企業やプロジェクトのスタンプもあるし、大きいステッカーもあるから、正確にいくつかは分からないが、100近いメイカースペースを見てきたことになる。
日本を出て6年にもなるので、よく、日本から来た人と話していて感覚が合わないことがある。「メイカームーブメントは終わった」的な話もその一つだ。
2015~17年当時と比べて、バブル的な資本投下がなくなったのは間違いない。でも、僕(やいま付き合いがあるMakerたち)にとってのメイカームーブメントは、資本投下の話ではない。写真右側の3つのスタンプ、PINN Creative Spaceはバンコク、K-Lab YangonとHyperLabはヤンゴンのメイカースペースだ。K-Labは前述の韓国政府が補助したものだが、HyperLabはヤンゴンのMakerであるSi Tsu Htunが自力で立ち上げ、いまヤンゴン工科大と一緒にいくつかプロジェクトを始めている。僕のパスポートにはアジスアベバ(エチオピア)やベイルート(レバノン)のメイカースペースも記録されている。エチオピアやミャンマーに行ってもローカルのメイカースペースに出会えるなんて、2015年頃には想像できなかった。新陳代謝を繰り返しながら、メイカースペースもムーブメントも、いまも拡大していると、僕は感じている。
今回の新型コロナウイルス対策のため、多くのメイカースペースは臨時休業に追い込まれている。2020年に訪問できるスペースは、例年より少ないだろう。早く危機が解決し、またさまざまなメイカースペースを訪問できる日が来ることを願っている。
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